光の書

スピリチュアル情報などについて紹介していきます。

携挙について

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このブログを書いていて

「これからは皆が悟る時代」

と書いてきましたが、ふと

「そうではないのではないか」

との思いがよぎりました。


それは理屈としておかしい。

地球にはいろいろな霊的段階の魂がいるらしい。

他の領域では出会えないような存在が

この地球では、肉体という入れ物に入るので

「いろいろな段階の魂に会える」

という。


確かに仏のような人もいるし、

悪魔のような人もいる。


そして今も、これからも二極化は進んでいます。

そんな中、一律に「神を悟っていく」

というのは理屈として違うような気がする。


つまり、予言される「良い時代」

に入るには、やはり聖書や予言書で言われている

「魂の選別」

というプロセスを経なければならないではないかと思います。


「携挙」

という言葉があります。


それは聖書で言われている「患難」の時代が訪れる前か中か後に「選別された魂」を天に引き上げる

というものです。


「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります」

テサロニケの信徒への手紙一 4:16-17、新改訳聖書

 


他にも、日月神示にもこの「携挙」のような記述があります。


「いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる人間もあるのぞ」

 

「神の仕事をしておれば、どこにいても、
いざという時には神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ」

 


では、「選別の基準」

というのはあるのでしょうか。

 

基本的には新約聖書の教えというのが主だと思いますが

 

・神への祈り

・「あなたの頬を打つものには、もう一方も差し出しなさい(ルカ:6.29)

・「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである(マタイ:7.1)」

 

また、マタイによる福音書5章のイエス様の「山上の垂訓」と言われる部分も重要ではないかと思います。

 

5:3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」

5:4「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう」

5:5「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」

5:6「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう」

5:7「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう」

5:8「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」

5:9「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」

5:10「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」


この言葉を一言で解釈すると「全体意識」というワンネスで生きるという、つまり

「キリスト意識」

というのが重要なんだと思います。


スピリチュアルな人たちの中には、これからは戦争も欠乏もないような

「良い時代」

になると言われています。


でも、それにはそこにふさわしい魂になる必要があり、

その基準に達しない人は別の3次元の星に行き、

また、石器時代のような

「ゼロから積み上げる」

というような体験をするという人もいます。


確かに感情的にこれらの「携挙」などの話は非情にも思えますが、

理論として考えれば「理にかなう」とも思えます。


仮に携挙が起こったら、全員が全員救われるというのは難しいのではないかと思います。

 

それは

「理屈として難しい」

と思うからです。


現在でも波動は人によって二極化しています。

人間ですら、波動が違えばさまざまな衝突が起こるのに

天にいるような人と波動が低い人が接触すれば

その摩擦は非常に激しいと思うからです。


それは天の人にとっても悪いものを取り入れることになるし

それは「分離のエネルギー」を取り込むことで、「戦争」、「不和」もろもろのエネルギーを取り入れるということにもなる。


波動の低い人にとってもさまざまな悪いものが噴出するので壊れることになるからです。

 

だから、やはり難しいのではと思います。


新しい良い時代に入るには、古いものは壊れなければならない。

それは「創造と破壊」であり

現状を見る限り、ソフトランディングというのは時間的に難しいのではないかと思います。

そして、ハードランディングとして「患難」や「大峠」という大災厄を迎える可能性もあると思います。

しかし、能力者の人の中には「宇宙人の介入」というシナリオもあるということなので、

 

どのプロセスに行くかは

「人類のありかたしだい」

という面もあるのではないかと思います。

 

この文章を見ている人は「光の人」だと思います。

本当のダークサイドの人はこのような文章には出会わず、

見たとしても「何も感じなく」スルーすると思います。


だからこそ、「光の人」は光にフォーカスし、

このような教えを生活に取り入れることが良いのではないかと思います。


本当のダークサイドの人というのは

意外とカルマみたいなのは少ないのではないかと思います。


ベジータが自分のことを

「純粋な悪」

と言っていますが、


純粋な悪は、もしかしたら心になんのもやもやもため込まず、

まったく罪悪感がなく、ただひたすら

「純粋な悪」

をこなしているのかもしれません。


ただ、もう光の連鎖は止まりませんから

もう内側にためておくことはできず

良いものも悪いものも表に出ざるをえません。

だから、どちらにしても波動を上げる必要があると思います。

 

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