光の書

スピリチュアル情報などについて紹介していきます。

否定するものに否定される

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スピリチュアルでは

「どっちとも言える」

というものがあります。


「他人はいない」とも言えるし「他人はいる」とも言える

「カルマはない」とも言えるし「カルマはある」とも言える

「善悪はない」とも言えるし「善悪はある」とも言える


こういうものを何と言うのか、専門用語があるのかもしれませんが。

これって、つまり

「神の視点」か「個人(自我)の視点」かということだと思うんです。


悟りをひらいた人は

宇宙はただただ「ある」だけと言います。

そんなただただ「ある」全能な宇宙さんは

退屈からなのか、楽しみたいからなのか。

 

自身の「分霊」をつくり、いろいろな「制限された」パターンの宇宙を体験し、楽しんでいると言います。

 

その「分霊」が私たちなのだそうですが、その「いろいろと制限されたパターンの宇宙」を私たちは生かされているそうですが、

 

悟りを開いた人は、それを

「ストーリー」

ということがあります。

 

私たちは行き当たりばったり、偶然人生を歩んでいるのではなく、

すべて決まっているのか、ある程度決まっているのかわかりませんが

一定の流れに沿った

「ストーリー」

を歩まされているという側面があるそうです。


その制限されたストーリーの中には、「戦争」などもあり

それは「自我の視点」では悪ですが、

神の視点は悪ではなく「戦争を楽しんでいる」という側面もあるようです。

だから、「神の視点」で見れば「善悪はない」と言います。


でも、人類は集合意識として「一定のレベル」に達し、一段シフトするようです。

だから、「最悪」とも言える「戦争」などはだんだんとなくなっていくようです。


津留さんの言葉で

「人は自分が否定したものによってのみ傷つく」

と言います。


人は自分の価値判断でものごとの「善悪」を判断します。

でも、それは正義が悪とみなす半面、

サタニストが「自分こそ正義」と光を攻撃するように

ある意味「かたよった見方」とも言えます。

 

宇宙はたえず進化の方向に向かいますから、

かたよった見方があれば是正の方向に動きます。

それが「自分が正しい」と思ったものほど

反対のベクトルのエネルギーがあらわれる現象でもあります。


だから、結局のところは

人は宇宙から

「価値判断しない」「善悪はない」

という方向に向かわされます。


私もハイヤーセルフに

そのように向かわされています。


ただ、この話は

ある人にとってはまったくの不要で

ある人にとっては必要ではないかと思います。


その必要な人に向けて書いてみました。

 

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